7年間のかがやき

7年間の整理を少しずつしていきたいと思っています。

3:始まりの日、飛行機

英国に渡った当日のことは、今となってはよく覚えているのか、多くのことをすでに忘れてしまったのかよく覚えていません。成田空港から飛び立ったことは覚えていても、前日はどこかのホテルに泊まっていたのかそれとも千葉の祖父母の家に泊まっていたのかあまりよく覚えていません。とにかくも成田空港から香港経緯でヒースロー空港へ行く飛行機に乗り飛んで行ったのだけは覚えています。成田空港の乗り込み口は通路から一段下の段の登場口で、父と母に誰かがフライトをキャンセルしたり、航空会社がミスをしたりすると、まれに上のクラスの座席に座れるということを、その時初めて教えてもらって知り、そうなってくれないかなとひそかにわくわくしていました。そうして飛行機に乗りこみ、確か窓側、真ん中、そして窓側、という順番で横一列に座席のグループがあり、僕の座席は真ん中のグループの右端の席に座っていて、そのひとつ右、つまり窓側グループの通路側の席に父が、僕の一つ左に母が、そしてそのさらにもう一席左に妹が座っていました。

初めてのテレビ付きの座席に興奮しながら、使い方がわからず妹とともに母にあれこれと質問を繰り返し、気づけば離陸直前になっていました。あの時の僕は、日本の外というものをあまりわからずにただただ焦燥感にさいなまれているだけの小さな小さなその感情すら表す言葉を知らない子供だったのだと思うと同時に、その困難に知らぬ間に逞しく立ち向かっていたんだと、今となっては思います。

中継地点の香港につき、国際法上では若干違えども、初めての海外につきました。香港の飛行場はとにかく大きくて、しかも乗り換えのヒースロー空港行きの便は乗り降りた場所の真反対にあるということでしたから、時間には余裕がかなりありましたけれども香港空港での時間の大部分をその移動に費やしました。そのあと、ヒースロー空港行きのゲートのすぐそばに売店があったのですが、なんとそこに日本の日曜の朝にやっている戦隊ヒーローもののコミック本が売っていたのです。渡英した2017年当時よりも2,3年古いものでしたが、日本のものが外国の言葉で、中国語で売られていたことに当時の僕はとても感動して、親に頼んで買ってもらいました。内容としては、原作改変が多少なりとも行われていましたが、大まかな内容は原作に忠実で、しかも中国語なので内容もある程度理解できて、当時の僕にはとても衝撃的だったとともに、日本以外の場所、というものへの好奇心を大いに沸きたてられた物でした。いまとなっては処分してしまってもう手元にはありませんが、初めて海外で親に買ってもらったものにしては、かなり良い選択だったと思います。その本のこと以外にも、初めて見るデューティーフリーショップや乗継便のゲートへの移動中に、人生で初めてコロナ渦でよく見られた握る棒状の検温器でおでこから突然体温を測られたことなど、とにかく衝撃的な出来事ばかりだったのを覚えています。

そうしてヒースロー空港ゆき、しいては英国行きの便に乗り込み、ハリーポッターと半純潔プリンスを見ようにも、賢者の石と秘密の部屋しか見たことがなかったために、内容がわからず断念してレゴの映画二本をずっと見つづけていました。そのほかにも、ゴルフのゲームを少しやってみたり、初めてのエコノミークラス症候群に苦しんでいたところ、母に眠った方が良いと言われ寝てみようとしたけれども常に小刻みに揺れ続けている飛行機の中では眠ることができずにひたすら耐え続けたりしていました。そうして飛行機が英国の国土の上に差し掛かり、空いていた遠い席の窓から初めて遥かなるイギリスの大地を目に写したときの事を、今でも鮮明に覚えています。渡英しっときは夏だったので、英国時間、もといい標準時間では午後の10時だったにも関わらず暗くなく、むしろ同じ時期の日本の午後五時ほどの明るさだったものですから、飛行機の中だったこともあって無言で衝撃を受けて驚いていました。そのご飛行場についてからの事はあまり覚えていませんが、詳しいことは次回書き出すことにいたしましょう。