3:始まりの日、飛行機
英国に渡った当日のことは、今となってはよく覚えているのか、多くのことをすでに忘れてしまったのかよく覚えていません。成田空港から飛び立ったことは覚えていても、前日はどこかのホテルに泊まっていたのかそれとも千葉の祖父母の家に泊まっていたのかあまりよく覚えていません。とにかくも成田空港から香港経緯でヒースロー空港へ行く飛行機に乗り飛んで行ったのだけは覚えています。成田空港の乗り込み口は通路から一段下の段の登場口で、父と母に誰かがフライトをキャンセルしたり、航空会社がミスをしたりすると、まれに上のクラスの座席に座れるということを、その時初めて教えてもらって知り、そうなってくれないかなとひそかにわくわくしていました。そうして飛行機に乗りこみ、確か窓側、真ん中、そして窓側、という順番で横一列に座席のグループがあり、僕の座席は真ん中のグループの右端の席に座っていて、そのひとつ右、つまり窓側グループの通路側の席に父が、僕の一つ左に母が、そしてそのさらにもう一席左に妹が座っていました。
初めてのテレビ付きの座席に興奮しながら、使い方がわからず妹とともに母にあれこれと質問を繰り返し、気づけば離陸直前になっていました。あの時の僕は、日本の外というものをあまりわからずにただただ焦燥感にさいなまれているだけの小さな小さなその感情すら表す言葉を知らない子供だったのだと思うと同時に、その困難に知らぬ間に逞しく立ち向かっていたんだと、今となっては思います。
中継地点の香港につき、国際法上では若干違えども、初めての海外につきました。香港の飛行場はとにかく大きくて、しかも乗り換えのヒースロー空港行きの便は乗り降りた場所の真反対にあるということでしたから、時間には余裕がかなりありましたけれども香港空港での時間の大部分をその移動に費やしました。そのあと、ヒースロー空港行きのゲートのすぐそばに売店があったのですが、なんとそこに日本の日曜の朝にやっている戦隊ヒーローもののコミック本が売っていたのです。渡英した2017年当時よりも2,3年古いものでしたが、日本のものが外国の言葉で、中国語で売られていたことに当時の僕はとても感動して、親に頼んで買ってもらいました。内容としては、原作改変が多少なりとも行われていましたが、大まかな内容は原作に忠実で、しかも中国語なので内容もある程度理解できて、当時の僕にはとても衝撃的だったとともに、日本以外の場所、というものへの好奇心を大いに沸きたてられた物でした。いまとなっては処分してしまってもう手元にはありませんが、初めて海外で親に買ってもらったものにしては、かなり良い選択だったと思います。その本のこと以外にも、初めて見るデューティーフリーショップや乗継便のゲートへの移動中に、人生で初めてコロナ渦でよく見られた握る棒状の検温器でおでこから突然体温を測られたことなど、とにかく衝撃的な出来事ばかりだったのを覚えています。
そうしてヒースロー空港ゆき、しいては英国行きの便に乗り込み、ハリーポッターと半純潔プリンスを見ようにも、賢者の石と秘密の部屋しか見たことがなかったために、内容がわからず断念してレゴの映画二本をずっと見つづけていました。そのほかにも、ゴルフのゲームを少しやってみたり、初めてのエコノミークラス症候群に苦しんでいたところ、母に眠った方が良いと言われ寝てみようとしたけれども常に小刻みに揺れ続けている飛行機の中では眠ることができずにひたすら耐え続けたりしていました。そうして飛行機が英国の国土の上に差し掛かり、空いていた遠い席の窓から初めて遥かなるイギリスの大地を目に写したときの事を、今でも鮮明に覚えています。渡英しっときは夏だったので、英国時間、もといい標準時間では午後の10時だったにも関わらず暗くなく、むしろ同じ時期の日本の午後五時ほどの明るさだったものですから、飛行機の中だったこともあって無言で衝撃を受けて驚いていました。そのご飛行場についてからの事はあまり覚えていませんが、詳しいことは次回書き出すことにいたしましょう。
2;7年間が始まる前
小三に渡英するまでは、僕は少し背が高い事と少し優しさが他人よりもある事以外は特に変わりのない子供だったと思います。学校に行って、友達と遊んで、本を読んで、、本当にただの、いいえ、、、、、”子供”だったと思うのです。海外に関してはアメリカとかイギリスとかの名前は知っていても場所はつゆ知らずでそんな事よりも友達と遊ぶことの方が、怪傑ゾロ利を読んでいる方が楽しいや、というよう様で、少しだけ気弱で。そんな子でした。渡英する少し前に英国というのがどのような場所か、どんな学校に転校することになるのか、気候はどんな感じなのか、今までとは食べるものが少し変わるのだとかいわれても、口では分かったような言葉を発しても、心の中ではさっぱり分かっていませんでした。物心はついていましたけれども物語にありがちな、目の前が真っ暗になったとか、果てしない砂漠の中に放り出されたような心のありようなんて大層な感情を持ち合わせれるほど、心身ともに成長途中で言い回しとしては知っていても、心の中で表現できるほどの物をまだ持ち合わせていなかったのです。心ににあったのは近しい物で例えるならば”色”でした。不安ならば深くて暗い紺色、うれしいときは手を太陽に向けたときに透けて見える血潮のような赤色、何も分からないときは感情がいい方か悪い方に傾いてるかによりますが斑な色、という風な景色しか、その当時の僕の心の中には生み出せませんでした。
その後、なけなしに数ヶ月英語塾に通って、気づけば親が血のにじむような苦労のすえに船便を荷造りして送り出していたりとしているうちに、出国のほんの一ヶ月前になっていた。その時の僕は、親に誰にも言ってはいけないと言われていたにもかかわらずその当時の一番の親友に渡英することを告げてしまって大層怒られても、まだ海外に住むと言うことを理解しておらず、英語がペラペラになるんだろうなぁとハローとアップルみたいな簡単な単語しか知らなかったながらに考えたり、友達と別れるのさみしいなぁと思ったりする程度だったと、今いろんな事が終わった今になってみると思う。こうして書き出してみると、昔の自分をひどく否定的に見ているようにも見えていよう。けれどもそれは単なる恥ずかしさというか、心のくすぐったさだからで、実際の所俯瞰して振り返ってみると、あのときの僕はなんともまあ正体不明の物質で構成された理解の範疇の外にある未知の大海原を砂浜から必死に究明しようとしていたように思える。そうしているうちに、出国直前になり、仲のいい友達と別れの会をしてベイブレードで遊んだり、親戚の家に両親が自宅の片付けの総仕上げをしている間に預けられたりして、出国当日になった。
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さて、何から書き始めよう。
とりあえずの所、七年の全体像を、わかりにくいと思いますが、非常にざっくりと説明しようと思います。小三の時に英国に移り住み、小四の夏に日本に帰国、その後小五の夏にアメリカに移り住み中一の始めに帰国、その後中二の秋にまた渡米し、高一の秋に帰国し現在に至ります。これが僕の長い長い人生の半分にも及ばんとする移り変わり続ける人生のざっくりとした説明であり、これから長い時間をかけて書いていこうと思っている物語の時系列的な面で見たあらすじです。何度も絶望や大きな壁がたちはだっかて、打ちひしがれそうになって、けれどもそのたびに乗り越え続けて、そのときは気づかなかったけれども、今思えば輝いていたんだと。そう、かがやいていたんだということをここに書き記していこうと思っています。
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同じ事を、作文用の紙でやろうとしたことがありました。そのときは、2019年の梅雨の時はどうしても、そのとき沸き起こった感情をどうにかして外に排出しようとしていたものですから一回こっきりで作文用紙の半分にも届かずに辞めて、いや、終わってしまいました。その次は同じ角という行為でも作文ではなく習字でしたが、習字の先生にもらった高価な筆を読み物に熱中してしまったのと、墨汁か半紙のどちらかを日本に忘れてしまったせいで一度もできずに帰国し、その次は2024年の春の終わり際、今僕がやっていることにほぼ近い、パソコンで打ち込む、しかし良くないエネルギーの集う場所に書き込もうと、書き込んでしまったのと、その当時非常なストレスを心に背負って抱えて、防衛戦をしていたのでこれまたそっちに気をとられてできずに終わってしまいました。
今になり、七年続いたタイタンの妖女のような実話を、少なくとも一段落して、まだまだ忙しいばかりですが生というめで見れば一段落した今こそ、父に昔の写真の複製を貰って終わった人生の一章を振り返って思いを馳せつつ本屋やでいろんな本を、他の同世代とは明らかに趣味嗜好がそろいませんがそういった本や漫画、辞書などを読んでそういった本という名の式に今までの記憶を代入して答えを出し続けたり、学校から帰った後に昼寝をたくさんして少しずつ今まであったことの疲れや思い出、感じた事を消化し続けてたり、昔の友人とやりたかったことを着々とやり終えたり、日々の出来事や感じた事を日記に吐き出したりといった事をし続けている今ならば、まばらなペースながらもこの作文という名の整理を、いつ終わるか分からなくても、七年分とそのもう少し先までのまだ見ぬストーリーを書き綴れる気がします。
七和舟