7年間のかがやき

7年間の整理を少しずつしていきたいと思っています。

2;7年間が始まる前

小三に渡英するまでは、僕は少し背が高い事と少し優しさが他人よりもある事以外は特に変わりのない子供だったと思います。学校に行って、友達と遊んで、本を読んで、、本当にただの、いいえ、、、、、”子供”だったと思うのです。海外に関してはアメリカとかイギリスとかの名前は知っていても場所はつゆ知らずでそんな事よりも友達と遊ぶことの方が、怪傑ゾロ利を読んでいる方が楽しいや、というよう様で、少しだけ気弱で。そんな子でした。渡英する少し前に英国というのがどのような場所か、どんな学校に転校することになるのか、気候はどんな感じなのか、今までとは食べるものが少し変わるのだとかいわれても、口では分かったような言葉を発しても、心の中ではさっぱり分かっていませんでした。物心はついていましたけれども物語にありがちな、目の前が真っ暗になったとか、果てしない砂漠の中に放り出されたような心のありようなんて大層な感情を持ち合わせれるほど、心身ともに成長途中で言い回しとしては知っていても、心の中で表現できるほどの物をまだ持ち合わせていなかったのです。心ににあったのは近しい物で例えるならば”色”でした。不安ならば深くて暗い紺色、うれしいときは手を太陽に向けたときに透けて見える血潮のような赤色、何も分からないときは感情がいい方か悪い方に傾いてるかによりますが斑な色、という風な景色しか、その当時の僕の心の中には生み出せませんでした。

その後、なけなしに数ヶ月英語塾に通って、気づけば親が血のにじむような苦労のすえに船便を荷造りして送り出していたりとしているうちに、出国のほんの一ヶ月前になっていた。その時の僕は、親に誰にも言ってはいけないと言われていたにもかかわらずその当時の一番の親友に渡英することを告げてしまって大層怒られても、まだ海外に住むと言うことを理解しておらず、英語がペラペラになるんだろうなぁとハローとアップルみたいな簡単な単語しか知らなかったながらに考えたり、友達と別れるのさみしいなぁと思ったりする程度だったと、今いろんな事が終わった今になってみると思う。こうして書き出してみると、昔の自分をひどく否定的に見ているようにも見えていよう。けれどもそれは単なる恥ずかしさというか、心のくすぐったさだからで、実際の所俯瞰して振り返ってみると、あのときの僕はなんともまあ正体不明の物質で構成された理解の範疇の外にある未知の大海原を砂浜から必死に究明しようとしていたように思える。そうしているうちに、出国直前になり、仲のいい友達と別れの会をしてベイブレードで遊んだり、親戚の家に両親が自宅の片付けの総仕上げをしている間に預けられたりして、出国当日になった。

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さて、何から書き始めよう。

とりあえずの所、七年の全体像を、わかりにくいと思いますが、非常にざっくりと説明しようと思います。小三の時に英国に移り住み、小四の夏に日本に帰国、その後小五の夏にアメリカに移り住み中一の始めに帰国、その後中二の秋にまた渡米し、高一の秋に帰国し現在に至ります。これが僕の長い長い人生の半分にも及ばんとする移り変わり続ける人生のざっくりとした説明であり、これから長い時間をかけて書いていこうと思っている物語の時系列的な面で見たあらすじです。何度も絶望や大きな壁がたちはだっかて、打ちひしがれそうになって、けれどもそのたびに乗り越え続けて、そのときは気づかなかったけれども、今思えば輝いていたんだと。そう、かがやいていたんだということをここに書き記していこうと思っています。

 

 同じ事を、作文用の紙でやろうとしたことがありました。そのときは、2019年の梅雨の時はどうしても、そのとき沸き起こった感情をどうにかして外に排出しようとしていたものですから一回こっきりで作文用紙の半分にも届かずに辞めて、いや、終わってしまいました。その次は同じ角という行為でも作文ではなく習字でしたが、習字の先生にもらった高価な筆を読み物に熱中してしまったのと、墨汁か半紙のどちらかを日本に忘れてしまったせいで一度もできずに帰国し、その次は2024年の春の終わり際、今僕がやっていることにほぼ近い、パソコンで打ち込む、しかし良くないエネルギーの集う場所に書き込もうと、書き込んでしまったのと、その当時非常なストレスを心に背負って抱えて、防衛戦をしていたのでこれまたそっちに気をとられてできずに終わってしまいました。
 今になり、七年続いたタイタンの妖女のような実話を、少なくとも一段落して、まだまだ忙しいばかりですが生というめで見れば一段落した今こそ、父に昔の写真の複製を貰って終わった人生の一章を振り返って思いを馳せつつ本屋やでいろんな本を、他の同世代とは明らかに趣味嗜好がそろいませんがそういった本や漫画、辞書などを読んでそういった本という名の式に今までの記憶を代入して答えを出し続けたり、学校から帰った後に昼寝をたくさんして少しずつ今まであったことの疲れや思い出、感じた事を消化し続けてたり、昔の友人とやりたかったことを着々とやり終えたり、日々の出来事や感じた事を日記に吐き出したりといった事をし続けている今ならば、まばらなペースながらもこの作文という名の整理を、いつ終わるか分からなくても、七年分とそのもう少し先までのまだ見ぬストーリーを書き綴れる気がします。

 

 

 

                                 七和舟