小三に渡英するまでは、僕は少し背が高い事と少し優しさが他人よりもある事以外は特に変わりのない子供だったと思います。学校に行って、友達と遊んで、本を読んで、、本当にただの、いいえ、、、、、”子供”だったと思うのです。海外に関してはアメリカとかイギリスとかの名前は知っていても場所はつゆ知らずでそんな事よりも友達と遊ぶことの方が、怪傑ゾロ利を読んでいる方が楽しいや、というよう様で、少しだけ気弱で。そんな子でした。渡英する少し前に英国というのがどのような場所か、どんな学校に転校することになるのか、気候はどんな感じなのか、今までとは食べるものが少し変わるのだとかいわれても、口では分かったような言葉を発しても、心の中ではさっぱり分かっていませんでした。物心はついていましたけれども物語にありがちな、目の前が真っ暗になったとか、果てしない砂漠の中に放り出されたような心のありようなんて大層な感情を持ち合わせれるほど、心身ともに成長途中で言い回しとしては知っていても、心の中で表現できるほどの物をまだ持ち合わせていなかったのです。心ににあったのは近しい物で例えるならば”色”でした。不安ならば深くて暗い紺色、うれしいときは手を太陽に向けたときに透けて見える血潮のような赤色、何も分からないときは感情がいい方か悪い方に傾いてるかによりますが斑な色、という風な景色しか、その当時の僕の心の中には生み出せませんでした。
その後、なけなしに数ヶ月英語塾に通って、気づけば親が血のにじむような苦労のすえに船便を荷造りして送り出していたりとしているうちに、出国のほんの一ヶ月前になっていた。その時の僕は、親に誰にも言ってはいけないと言われていたにもかかわらずその当時の一番の親友に渡英することを告げてしまって大層怒られても、まだ海外に住むと言うことを理解しておらず、英語がペラペラになるんだろうなぁとハローとアップルみたいな簡単な単語しか知らなかったながらに考えたり、友達と別れるのさみしいなぁと思ったりする程度だったと、今いろんな事が終わった今になってみると思う。こうして書き出してみると、昔の自分をひどく否定的に見ているようにも見えていよう。けれどもそれは単なる恥ずかしさというか、心のくすぐったさだからで、実際の所俯瞰して振り返ってみると、あのときの僕はなんともまあ正体不明の物質で構成された理解の範疇の外にある未知の大海原を砂浜から必死に究明しようとしていたように思える。そうしているうちに、出国直前になり、仲のいい友達と別れの会をしてベイブレードで遊んだり、親戚の家に両親が自宅の片付けの総仕上げをしている間に預けられたりして、出国当日になった。